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令和6年4月4日

 トルコの在イスタンブール日本国総領事館で公邸料理人を務める常田 祐路(ときた ゆうじ)料理人です。常田料理人は以前(2015年9月-2018年10月)にもイスタンブールで公邸料理人を務めており、今回(2022年4月-現在)は2回目の赴任となります。

 常田料理人に公邸料理人としての活動とイスタンブールでの生活について語って頂きます。

Q:どのような幼少期や学生時代を経て、料理人になったのでしょうか。
 私は兵庫県の尼崎市で生まれ育ちました。父は静岡県浜松市、母は鹿児島県・徳之島出身ですが尼崎で商売をやっていました。私は小さい頃から好奇心旺盛で、知らない世界を知りたい、自分が楽しいことを追求したいという子どもだったと思います。

 私にとって忘れられない青春は学生時代のバンド活動です。18歳の頃高校の友人で組んだバンドでドラムを担当したことに始まり、大学は中退して本格的に音楽の道を追求しました。音楽事務所に所属して楽器と炊飯器を持ってツアーを行ったのは今となっては感慨深い思い出です。そして27歳で音楽の道を諦めた時に自然と目が向いたのはバンドマンとして活動する傍ら、アルバイトで触れた料理の世界でした。当初は誰もが知るようなチェーン店で働きはじめ、段々と凝った店でも働くようになりました。

Q: イスタンブール(トルコ)で公邸料理人となろうと思った理由を教えて下さい。
 私が懐石・割烹料理を習った師匠は公邸料理人を務めた人でした。海外で働きたいと思っていることを師匠に相談したところ「公邸料理人」という道を教えて頂き、絶対公邸料理人になろうと決意し、修行しました。トルコを選んだ理由は世界三大料理の国であるトルコこそが、周囲の人間から遅れて料理のプロを目指した自分の道だと思ったからです。そうしてイスタンブールにやってきたのは2015年9月のことでした。

Q:イスタンブールに抱いた思いをお聞かせ下さい。
 トルコのイスタンブールは私にとって初めて訪れた外国でした。トルコに来ることを選んだものの、その考えはあまりに安易であったことを到着後すぐに思い知らされました。トルコでは英語がほとんど通じません。当時赴任の飛行機で初めてトルコ語の語学書を手に取ったのですが、その後1か月間は必死に勉強しました。

 イスタンブール(旧コンスタンチノープル)は東ローマ帝国やオスマン帝国の首都であった世界屈指の大都市です。イスタンブールのトルコ人は魚や西洋料理も食べ、味覚はとても洗練されています。その一方で、日本食と言っても彼らの脳裏に浮かぶのは寿司(寿司ロール)くらいしかありません。日本人だけでなくトルコ人のお客さんに美味しいと思って貰える日本食の試行錯誤を続けました。最近では日本食がもっと普及するように一般の方や企業関係者向けに日本食ワークショップなども実施しています。当地ではトルコリラ安とそれを遥かに上回るインフレによって、同じ会食予算で購入できる食材はどんどん減っていますが、その代わりに日本食材を現地で入手可能な食材で代用するなど、コストを抑える技術を身につけることができました。

Q:初めてのトルコで大きなカルチャーショックを感じたわけですね。1回目の赴任を終え、日本帰国後のキャリアと2回目の赴任を決めたきっかけを教えて下さい。

 2018年10月に1回目の任期が終わり、日本に帰国しました。帰国後は、京都、兵庫、大阪の店で料理人として働き、日本食の腕を磨きました。トルコでは日本食材が思うように手に入らないため様々な試行錯誤をしましたが、久しぶりに帰国した日本では思う存分に日本食材を使うことができ、食材への知識が深まりました。特に京野菜や神戸時代に習得した魚の熟成技術はとても得がたいものでした。

 2回目に赴任した理由ですが、自分にとってイスタンブールは料理人としての初志の地であり、是非もう一回来たいと思っていました。現在の雇い主である笠原謙一総領事からお話を頂いた時には人間的な部分やトルコでの実績を評価して頂いたことから二つ返事でオファーを承諾しました。

Q.2回目のイスタンブールにやってきた感想と今後の抱負を教えて下さい。
 ホームに帰ってきたという安心感、そして1回目の赴任時に苦労を共にした公邸スタッフたちと再会できた喜びは何ものにも代えがたいものでした。その一方、トルコの経済状況はさらに悪化しており、リラの価値はさらに下がり、すべての食材が高くなっていました。しかし、日本での4年間を経て料理人としての幅は確実に広がっており、食材の仕入れや会食の準備でも余裕が出てきました。

 私は食材の下処理を丁寧に行うことでよりよい料理、おいしい料理ができあがると考えています。元々懐石・割烹職人ですが、和食材だけにこだわっているわけではなく、「おいしい」という世界共通の味覚をベースに洋食材も積極的に使っていきたいと思っています。イスタンブールは私の料理人としてのホームであり、この矜持はずっと持ち続けたいですが、いずれは日本に帰り、西日本で割烹料理のお店を開きたいですね。

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