内閣府・新着情報

日時

2024年5月24日(金)10:00~12:03

場所

消費者委員会会議室・テレビ会議

出席者

(委員)
【会議室】
沖野座長、山本(隆)座長代理、加毛委員、小塚委員、二之宮委員、野村委員
【テレビ会議】
石井委員、大屋委員、室岡委員
(オブザーバー)
【テレビ会議】
鹿野委員長、大澤委員
(参考人)
【テレビ会議】
黒川博文 関西学院大学経済学部准教授
宮城島要 青山学院大学経済学部教授
(消費者庁)
【会議室】
黒木消費者法制総括官、原田消費者制度課企画官、消費者制度課担当者
(事務局)
小林事務局長、後藤審議官、友行参事官

議事次第

  1. 開会
  2. 議事
    ①室岡委員プレゼンテーション
    ②有識者ヒアリング (黒川博文 関西学院大学経済学部准教授)
    ③有識者ヒアリング (宮城島要 青山学院大学経済学部教授)
  3. 閉会

配布資料 (資料は全てPDF形式となります。)

《1. 開会》

○友行参事官 定刻になりましたので、消費者委員会第6回「消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会」を開催いたします。

本日は、沖野座長、山本座長代理、加毛委員、小塚委員、二之宮委員、野村委員には会議室で、石井委員、大屋委員、室岡委員は、テレビ会議システムにて御出席いただいております。

所用により河島委員は御欠席との御連絡をいただいております。

消費者委員会からは、オブザーバーとして、鹿野委員長、大澤委員にはテレビ会議システムにて御出席いただいております。

また、本日は、関西学院大学経済学部准教授の黒川博文様と青山学院大学経済学部教授の宮城島要様に御発表をお願いしております。両先生ともにテレビ会議システムにて御出席いただいております。

配付資料は、議事次第に記載のとおりでございます。

一般傍聴者にはオンラインにて傍聴いただき、報道関係者のみ会議室で傍聴いただいております。

議事録については、後日公開いたします。

それでは、ここから沖野座長に議事進行をよろしくお願いいたします。


《2.①室岡委員プレゼンテーション》

○沖野座長 ありがとうございます。本日もよろしくお願いいたします。

早速ですが、本日の議事に入らせていただきます。

本専門調査会の前半の検討テーマには、「消費者法制度における『脆弱性』概念の捉え方」や「『客観的価値実現』の位置付け」、「金銭の支払いに限られない消費者取引の拡大への対応の在り方」、「デジタル化による技術の進展が消費者の関わる取引環境に与える影響についての基本的な考え方」といったことがあります。これらの検討に当たりましては、関連分野の知見を踏まえるべきこと、経済学との関係では、行動経済学のみならず伝統的な経済学の知見を踏まえることの重要性について、委員の皆様より御意見をいただいておりました。

そこで、本日は、経済学の研究者でいらっしゃいます室岡委員、黒川先生、宮城島先生から御発表をいただき、議論を深められればと思います。

進行でございますが、御発表内容が相互に関連していることに鑑みまして、まず、室岡委員から委員プレゼンテーションをいただき、それを受けまして、質疑応答・意見交換をさせていただいた後、有識者ヒアリングにつきましては、黒川先生、宮城島先生の順にまず御発表いただきまして、その後にお二人の御発表内容を踏まえて質疑応答・意見交換をさせていただくという形で進めさせていただきたいと思います。

御発表の時間は、恐縮ですが、お一人当たり最大15分程度とさせていただきまして、なるべく質疑応答・意見交換の時間を充実できるよう進行に御配慮いただけますと幸いでございます。

それでは、まず、室岡委員、お願いいたします。

○室岡委員 ありがとうございます。大阪大学社会経済研究所の室岡健志と申します。

この報告では、「経済学からみた『情報と交渉力の格差』および消費者保護政策」ということで、経済学者が通常、情報の格差、交渉力の格差と言ったときにどう解釈するのか、及び経済学から見た消費者保護政策とはどのようなものが考えられるのかについて報告いたします。委員の皆様に関しては釈迦に説法となるところもあるかと思いますが、なるべく手短にまとめて、質疑応答のほうに移ります。

次のスライドをお願いします。

全体の構成としては、まず「情報と交渉力の格差」という点に関する経済学においての前提を簡単にお話しした上で、「経済学」から見た消費者保護政策とは、経済学者が消費者法関連で貢献できるかもしれないと私が考えること、最後に結語という形でまとめさせていただければと思います。

次のスライドをお願いします。

まず、情報の格差および交渉力の格差、これは日本の消費者法の一番最初に出てくる言葉でありますが、恐らく経済学で通常解釈するとこういう形になるのではないかなということをまとめさせていただきました。

第一に、経済学で情報の格差、これは通常asymmetric information、あるいは「情報の非対称性」と呼ばれるものと解釈されると思いますが、経済学における情報の格差と言ったときに何を意味するかというと、経済主体の間で保有する情報が違っていることを意味します。例えば、事業者はその財の価値が高いか低いか分かっているけれども、消費者のほうは分からない。逆に、消費者のほうは自分がどういう財が好きか分かっているけれども、事業者のほうはその消費者の好みが分からないといったような、取引主体の間で持っている情報が違うことそれのみを表し、それ以外の意味は通常の経済学の解釈では一切排除されると思います。例えば、この委員会でも既に議論に上がっている認知能力の格差などは、全く別の意味で経済学では用いることが多いと思います。なので、情報の格差と言ったときに、経済学者が通常これを聞くと、消費者と事業者で持っている情報が違うというだけの意味になります。

同様に、交渉力の格差という場合、経済学では、事業者と消費者の間で自発的な交渉をした上で、例えば事業者のほうが交渉力が強いから比較的高い価格で取引される、消費者のほうが交渉力が強いから比較的低い価格で取引されるというような、経済主体の間の自発的な交渉が大前提となっていると思います。なので、経済学で交渉力の格差と言ったときに、強制とかつけ込むとかだますといったものは、そもそも別の概念であると考えられると思います。

このスライドは前提としての話なのですが、情報の格差、交渉力の格差と経済学者が言ったとき、通常何を意味するか、そしてより重要なこととして何を意味していないかについて、簡単にまとめさせていただきました。

次のスライドをお願いします。

それでは、経済学から見た消費者保護政策とは何かについてです。個人的には、米国連邦取引委員会(FTC)がホームページの最初のほうにまとめているものが私から見て分かりやすかったので、よく使わせていただいております。具体的には、Protect consumers from unfair and deceptive practices in the marketplaceとあり、日本語では「消費者を不公正な取引あるいは欺瞞的な取引から守る」となります。これは、例えば情報と交渉力の格差と言われるよりも、私個人としては分かりやすい定義ですので、簡単に説明させていただければと思います。

ここでunfair practiceというのは、スライド内にURLが貼ってあり詳しい説明が書いてありますが、これは英語の説明なので、私が要約したものを簡単に説明させていただきます。不公正な慣行とは、ある消費者が損害をこうむる可能性があって、その損害は消費者の常識的な判断によって避けることができず、かつその損害は消費者全体または社会全体への利益に比して正当化されないとき、unfair practiceであると議論しています。

同様にdeceptive practice、欺瞞的な慣行とは何かということについては、常識的な判断をする消費者を基準とした下で、消費者の誤認を誘発し、かつ消費者の購買意思または取引された財・サービスの使用に影響を与えるとき、これは欺瞞的な慣行であると定義しております。これはもちろん何が常識的な判断なのか等に議論の余地は大いにありますが、こういった形での定義が少なくともFTCではなされています。

この定義は経済学の文法に沿って説明しやすいものですので、このようなFTCが提起する消費者保護政策をもとにしたとき、伝統的な経済学及び行動経済学はどのような形で消費者保護と関連するのかについて、次のスライドから説明させていただければと思います。

ただ、1点非常に重要な注意点として、もちろん消費者保護全体としては、例えば食の安全など、より広範な目的及び対象を持ちます。なので、ここから先の話はFTCの一文に基づいて消費者保護を考えたときに、伝統的な経済学及び行動経済学がどのように関連するかということについて議論させていただけたらと思います。次のスライドから話す消費者保護というのは、消費者保護全体のごく一部であることには御留意ください。

次のスライドをお願いします。

FTCの消費者保護の目的を前提とした上で、行動経済学ではない伝統的な経済学の考え方はこのような形になると思います。まず、不公正慣行の要件を避けるためにはどうすればいいかというと、消費者へ適切な情報を事前に提供した上で契約の自由がありさえすれば、不公正慣行の定義というのはそもそも避けることができるわけで、先ほどの定義は当たらないことになってしまいます。なぜかというと、伝統的な経済学のモデルでは、消費者は適切な情報を持っていてかつ強制されたりしなければ、自身の利得を下げるような行動を自発的に選択しないと考えるためです。

次に、欺瞞的慣行です。deceptive practiceというのは、そもそも伝統的な経済学の分析の対象外になっているのではないかと私は考えております。なぜかいうと、伝統的な経済学のほぼ全ての分析では、各経済主体は常に合理的な期待形成を行って、それを基に利得を最大化すると考えるため、誤認、つまりだまされるということは、そもそも定義上起き得ません。

特に欺瞞的慣行の経済分析を行う際、deceptive practiceを具体的に経済学でどう分析するかという場合には、先ほど説明したように、伝統的な経済学のほとんどではそもそも定義上分析できないことになってしまうので、行動経済学は非常に有用というか、ほぼ必須だと個人的には考えております。それが先ほど例えば沖野座長が行動経済学の知見と仰っていたように、本委員会でも行動経済学に焦点が当たっている理由の1つではないかなと個人的には推測しております。

次のスライドをお願いします。

これを踏まえた上で、経済学者が消費者法関連で貢献できるかもしれないと私が考えていることについて2つ挙げさせていただいております。まず1つ目です。これは行動経済学とは別なのですが、均衡概念、具体的には産業組織論(産業規制の理論、規制の経済学、あるいは契約理論、インセンティブの理論)などの分野になりますが、消費者法を考える上で役に立つ側面もあると個人的に考えております。

均衡概念は経済学で理論的にも実証的にも非常に多く分析されています。取引に対する規制、例えば何かまずいことがあって、何らかの規制をかけた。そのかけた規制が取引前の事業者の行動を変えてしまう可能性が理論的には考えられます。これは具体的に過去の別の研究会で出てきたところで私が懸念を表明した例ですが、例えばつけ込み型勧誘による消費者被害に関して、親族などの適当な第三者が契約の締結に同席するなどを指定した場合には、これを考慮して取消しの可否が決まるような規律を導入するというものが過去の別の研究会で議論されたことがあります。これは均衡概念を基にすると1つ懸念がありまして、このような規律を導入すると、事業者の契約締結前の行動にも影響を与えてしまうのではないかということが考えられます。具体的には、判断が低下した親族を利用して、この親族等の第三者が契約を結んでしまう。あるいは極端な場合、事業者が親族を利用するために裏でリベートを支払うなどして、つけ込み型勧誘がむしろ悪化するというケースが、少なくとも理論的には考えられると思います。

この規律自体が全く駄目だというわけではなく、こういうことも理論的に起こるため、どのように改善していくべきか、どのようなリスクとベネフィットがあって、どのようにトレードオフを考えていくべきかというところにおいて、産業組織論や契約理論の考え方というのは役に立つのではないかと個人的には感じております。

2つ目として、何らかの規制をかけることによって産業全体の構造を変えてしまうということがあります。例えば、消費者教育はこの委員会においても重要なトピックであると理解しておりますが、消費者教育もただ行うだけで常に良いというわけではありません。消費者教育をやみくもに行うと、その消費者教育は、例えば一部の消費者のみにものすごく効果があり、ほかの消費者グループには全く影響がなかったような場合、消費者がものすごく消費者教育が効いたので非常に思慮深くなったグループと、極めて脆弱なグループという2つのグループに完全に分かれてしまう可能性が少なくとも理論的にはあります。このように分かれてしまった場合、例えば悪質な事業者が、消費者教育が効かずに極めて脆弱なまま取り残された消費者グループにターゲットして、結果として市場が分断されてしまい、その極めて脆弱な消費者グループが多大な被害を被るという可能性が、少なくとも理論的にはあります。こういった場合、どういうことに気をつければいいか。例えば消費者に関するデータをしっかり追っていて、このような分断が起きているか否かを確認しながら、消費者教育を行っていったほうがよいのではないか。規制によって産業の構造が変わるかもしれないが、変わるとしたら一体どういうところを考えていくべきなのか、といった知見を提供する上で、産業規制の理論やインセンティブの理論は役に立つ可能性があると個人的には考えています。

これは私の個人的な感覚ですが、消費者政策の議論に対して、競争政策では上記の均衡概念、例えば何らかの規制によって事業者の行動を変えてしまうのではないか、何らかの規制によって産業全体の構造が結果として変わってしまうのではないかというような概念が、相対的により普及していると感じております。

何らかの規制が事業者の行動を変えてしまう可能性がある、産業全体を変えてしまう可能性があるときに、そのようなことをそもそもどのように理論的に予想できるのか、どのように効果を測定できるのか。そして、それを踏まえた上で、どのように制度を設計していくべきなのか。これらに経済学の知見を一部利用することの便益というのはあるのかもしれないと個人的には感じております。

次のスライドをお願いします。

これが最後のスライドになりますが、結論としては、ある規制が「事業者の行動」や「産業全体の構造」を変えてしまう可能性がある場合、それをどうやってデータから見つけるのか、そして全体として制度設計をどうすべきかという議論も含め、伝統的な経済学は法学に対して比較優位が現在あるのではないかと個人的には感じております。

これはあくまで私見ですが、少なくとも日本において、経済学における制度設計の理論及び実証を導入する方が、行動経済学を導入するよりもはるかに重要であると感じております。なので、行動経済学を消費者法へ本格的に応用するのは、まず伝統的な経済学の知見を応用した後でもよいのではないかと思っています。私自身は主に行動経済学を専門にしていますが、今までの私の経験の中でも、伝統的な経済学の知見をもう少し組み入れることによって有益な議論ができるケースというのはあったと感じております。

ただし、特に先ほど説明しました消費者保護の目的のうち、欺瞞的慣行、deceptive practiceの分析を行う際には、伝統的な経済学では「だまされる」という合理的な期待形成から外れたところの分析をほとんど行っていなかったので、行動経済学の分析は非常に有用だと思われます。

御清聴ありがとうございました。

○沖野座長 室岡先生、ありがとうございました。

それでは、ただいまの室岡委員の御発表内容を踏まえまして、質疑応答・意見交換をしていきたいと思います。御発言のある方は、会場では挙手、オンラインではチャットでお知らせいただければと思います。どなたからでも、どの点からでも結構です。いかがでしょうか。

二之宮委員、お願いします。

○二之宮委員 二之宮です。御説明ありがとうございました。

今映っている最後の結語のところの2ポツ目と3ポツ目をもう少し教えてください。欺瞞的慣行と聞くと、私らは今、相談現場では欺瞞的慣行イコール詐欺的な定期購入というような状態で被害が生じているので、それを念頭に置きながらお話をお聞きしていました。詐欺的な定期購入に対しては、これだけアナウンスされても止まらないし、どんどん新しいものが出てくる。規制が必要だと考えておるのですが、2ポツ目で、まず伝統的な経済学を応用した後でもいいのではないかと。ただし、伝統的な経済学では誤認というものが含まれないから、詐欺的な定期購入だとか欺瞞的慣行は抜け落ちる。だから、そこでは行動経済学が有用だと、それによって分析する。その後はどうなるのでしょうか。行動経済学を分析して、伝統的経済学の射程には入らなかったところを対象にした上で、均衡概念というものを考えていくことになるのか。ここの2ポツ目と3ポツ目の関係といいますか、その流れといいますか、もう少し教えていただければと思います。よろしくお願いいたします。

○室岡委員 ありがとうございます。まさに説明が足りなかったところを御指摘いただいて大変助かります。2ポツ目と3ポツ目はまさに関連しておりまして、欺瞞的慣行の経済分析、例えば誤認とか完全に見落としている、不注意になっているというものを入れた上で経済分析を行います。それを入れた上で、まさに1つ前のスライドの均衡概念、あるいはどのようなデータを集めるべきか。どのようなデータに基づけば、例えば消費者はだまされたと言えるのか、だまされたと必ずしも言えないのか。どのような規制が産業構造をより変えそうだと言えるのか、言えないのか。そして、そのようなデータに基づいて、どのような制度設計を行うべきなのかというところの議論に戻っていきます。なので、分析を行う際には、行動経済学、具体的には不注意とか誤認とか忘れてしまうなどの要素を組み入れた上で分析を行うのですが、分析を行った後にどのように政策的な議論を行うかというのは、伝統的な経済学のツールに沿って議論を行って、その上で政策を考えていくということになります。

○沖野座長 よろしいですか。

○二之宮委員 ありがとうございました。

○沖野座長 ありがとうございます。

小塚委員、お願いします。

○小塚委員 学習院大学の小塚です。

恐らく今、二之宮先生がおっしゃったことを少し理屈っぽく、かつ現場感覚なく言うだけだと思うのですけれども、何年も前に伝統的な経済学の先生と議論したときにこういうことを言われました。法律学というのは、いつも事が起こってから事後的な救済ということを考えるので、例えば誤認であれ、詐欺的な取引であれ、もう取引してしまったという前提で、それを取り消してあげようとか、条件を修正してあげようとか、そういうことばかり法律家は議論する。しかし、経済学で言うと、むしろ合理的な消費者は、だまされる可能性があると思うと、そういう取引をしない。そのため、だますつもりがないような事業者まで取引をしてもらえないことになって、それが社会全体として厚生経済学的には問題だという事前的な効果のほうを考えるので、視点が逆なのだということを言われました。

御質問はここからなのですが、御指摘の伝統的な経済学と行動経済学は、そこで違いが出てくるかどうか。つまり、定期購入取引であるとか、例えばオンラインの販売サイトで表示されている価格と最後に仕上がった価格が全然違うとか、これはダークパターンの一種だと思いますが、そのようなことについて、合理的な消費者であれば取引しないかというと、みなオンラインショッピングを使ってしまっているわけですね、若い人たちは。ということで、伝統的な経済学では見落とされている問題があると理解していいのか、それは行動経済学でなら捉えられるということなのか、その辺りについて御説明いただけますでしょうか。

○室岡委員 ありがとうございます。恐らく御同席された経済学者の議論で念頭にあったのは、情報の非対称性、とくにアカロフの中古車市場のような、売手側はこれがよい財なのか悪い財なのか知っているけれども、消費者側は分からない状況かと思います。ここで、消費者側は分からないけれども、よい財だけではなくて悪い財も混じっているのは分かっているので、ある程度高い価格を見ると、これはもしかしたら一定の確率で悪い財なのではないかと思って買うのを控える。買うのを控えた結果、市場における取引が少なくなってしまって、経済効率性が達成されないといったような議論に基づいて話をしたのではないかなと個人的には推測します。まさにこの点で、欺瞞的慣行の経済分析を行う際の行動経済学というのは有用だと考えています。

これはまさに私の専門の研究分野になりますが、一般に情報の非対称性が先ほど説明したように存在する場合、取引は一般に減ってしまい、社会全体及び消費者の厚生を最大化する取引量を下回ってしまう。つまり、合理的な消費者を仮定した上だと、先ほどのような非対称情報があった場合、取引は減ってしまうので、経済学者からするとなるべく取引量を増やすように制度設計したい。

他方で、例えば詐欺的な行為、詐欺とまではいかなくても何らかの誤認があって、買うべきではないものを買ってしまった場合、一般に消費者の利益も社会全体の利益もその取引により下がる可能性がありますので、そのような取引は止めたい。まさに欺瞞的慣行の経済分析を行う行動経済学の分野というのは、例えば情報の非対称性があって、かつ必ずしも消費者が合理的でない場合、あるいは消費者の一部は合理的だけれども、他の消費者は完全には合理的でない場合に、どのような状況であれば取引をより増やす方向に行くべきなのか、どのような状況だったら取引を規制する方向にいくべきなのかといった分析が可能です。この意味で、行動経済学の欺瞞的慣行の経済分析の分野は個人的には有用ではないかなと思います。

ただし、上記のような分析をした上で、その後にどのようにデータに当たるのか。そのデータを基にしてどのように制度設計すべきなのかというものは、完全に合理的な消費者を想定しているのか、消費者の一部は完全に合理的ではないかもしれないという想定の下で分析するのかという違いはあるのですが、そこの違い以外は基本的に伝統的な経済学のツールにのっとって政策の議論を行うことになると思います。

○沖野座長 ありがとうございます。

では、加毛委員、それから大澤委員ということでお願いします。

○加毛委員 ありがとうございます。二之宮先生、小塚先生の御発言に関わるのですが、7ページで書かれているところは全くそのとおりだと私も思います。行動経済学という学問が成立した背景からしても、伝統的な経済学におけるモデルによる社会分析の有用性を前提とした上で、行動経済学の知見を活かすべきものと思います。

社会は非常に複雑であるため、その全体をそれ自体として理解することはできないので、社会を分析するために、ある種の単純化、モデルの構築が必要になります。そのうえで、モデル構築の前提条件をリラックスさせることにより、社会をより適切に捉えることができる場合があるところ、行動経済学は、人間の合理性という重要な前提条件をリラックスさせるものであると理解しています。

資料の5ページに挙げられている室岡先生の御論文を拝読して、大変勉強になりました。そこでは、例えば、消費者取引において、将来の支払金額や違約金など一部の価格を消費者が誤認していたとしても、企業間の価格競争があれば財全体の価格は下がるため、消費者の誤認により、企業が追加的な利潤を得ることはないという理解が伝統的な経済学から示されていたところ、行動経済学の知見によれば、企業間で激しい価格競争がある場合でも、消費者を誤認させることによって各企業が追加的な利潤を得る可能性があることが明らかにされるとの指摘がございます。この点などがまさに、伝統的経済学の前提条件をリラックスさせることによって、より良く社会の実情をとらえることができるという行動経済学の強みを示すものなのだろうと思います。

そのことを前提として、私が知りたいと思いましたのが、室岡先生の御論文において、完全な合理性を有する消費者とナイーブな消費者という2つの消費者像が対置されているところ、そこで言う「ナイーブさ」をどのようにして把握するのかということです。社会の現実に即していえば、個々の消費者のナイーブさはそれぞれの消費者によって異なるのだと思いますが、恐らくそれではモデルによる分析になじまないので、定型化されたナイーブさというものを想定するのではないかと思われます。消費者政策や競争政策に行動経済学の知見を生かしていくときに、消費者のグルーピングや消費者のナイーブさの定型化をどのように確定していくのかについて教えていただくと、この検討会での審議に有益なのではないかと思いました。

門外漢なのでおかしなことを申し上げているかもしれませんが、お許しいただければと思います。

○室岡委員 こちらこそ私の論文を読んでいただき大変恐縮です。ありがとうございます。

消費者のグルーピングについては非常に重要なところでして、まず、論文中での「ナイーブ」の定義は、完全合理的ではないというだけですので、例えば不注意な人もナイーブですし、自分が先延ばししないと思っているのに実際に先延ばししてしまう人もナイーブですし、自分は忘れないと思っているのに2年たったら忘れてしまう人もナイーブですので、ナイーブということ自体は非常に多々あります。その上で、どのように消費者をグループ化していくかは最終的にはデータに当たることになると思いますが、ある規制が、例えば消費者保護の規制がグループ化を促進してしまうのか、あるいは逆の方向に働くかというのは、は重要な点ではないかと考えています。

例えば、これは実際にアメリカのクレジットカードであった話ですが、アメリカのクレジットカードだと、クレジットカードのヒストリーがあるわけですね。特に、例えばこの人はリボ払いをしている、この人は利息を払うのが遅れてしまって罰金を払っているといった情報から、どの消費者がよりナイーブであるか、どの消費者がより利息で罰金を払うのか等を、どうやら少なくともアメリカのクレジットカード企業の一部は分析しているようだと。その上で、どの消費者がより罰金や利息を払いやすいかというのが分かってしまったら、そこに関してターゲティングができるわけですね。そのターゲットに対して、今クレジットカードをつくってくれたら200ドル差し上げますので、私どものクレジットカードをつくってくださいと。これを合理的な消費者にやってしまったら、200ドルもらって、罰金とか利息を一切払わずにそのまま解約すればクレジットカード会社は丸損になってしまいますが、クレジットカードを一度つくってしまった後に使い続けて、利息や罰金をたくさん払ってくれるような消費者をもしうまくターゲットできた場合、つまり上記のようなクレジットカードのオファーを受けた結果利息や罰金を200ドル以上払ってしまうような消費者がいる状況であった場合、このターゲティングというのは、少なくとも理論上は問題になります。

この例で考えられるように、消費者のリッチなデータが手に入るようになったため、消費者ごとのグループ化、この消費者群はどのような意味でナイーブで、この消費者群はどのようなことをしたらよりだまされやすいのか、より追加的な利益を上げやすいのかといったことが、企業の中にたまっているデータを用いることによる分析が年々進んできています。なので、そのような企業内のデータがあるときに、消費者保護政策はどのように考えなければいけないのか。そして、このグループ化や事業者の対応というのは、まさに均衡概念を踏まえた上で議論しなければならないものと個人的には考えていますので、そういった点で非常に重要になるのではないかなと個人的には感じております。

すみません。もしかしたら質問の意図から脱線してしまったかもしれませんが、いかがでしょうか。

○加毛委員 ありがとうございました。大変勉強になりました。私は、抽象的に消費者のナイーブさの定型化や消費者のグルーピングを考えていたところ、問題となる取引ごとに、また、その取引の一方当事者である事業者がどのような情報を有しているのかによって、問題となる消費者のナイーブさが決まってくるところがあることをお教えいただいたものと理解しました。この点は、消費者保護政策を考えていく際に重要なポイントだと思われます。どうもありがとうございました。

○室岡委員 ありがとうございました。

○沖野座長 ありがとうございます。

では、大澤委員、お願いします。

○大澤委員 大澤です。室岡先生、大変勉強になりました。ありがとうございました。

今、最後に出てきた均衡概念というのに少し興味を持っておりまして、その均衡について少し教えていただきたいのです。私は、実は約款規制とか契約条項規制に関心を持ってもともと研究をしているのですけれども、約款規制とか契約条項規制だと、特に約款に例えばキャンセル料が非常に高い条項が入っているとか免責条項が入っているときに、個々の消費者ではなく、消費者全体の利益と、例えば事業者にとってその条項を設けることでどういう利益があるか。経済的な利益等々はどういうものがあるか、あるいは価格にどう転嫁されるかとか、そういうことが非常に重要なのではないかと思いますし、最近では、約款規制等も個々の消費者というよりは、むしろ集団として、マスとしての消費者を念頭に置くという話が出てきているのですが、そのときに均衡概念ということに少し興味を持っています。今後、規制としてキャンセル料に関して、今、日本では消費者契約法9条で平均的損害という基準が使われていますけれども、何かこれに類似するような基準をつくるときに、例えばキャンセル料について、ここまでしか上限で取ってはいけませんということになったときに、そうすると、確かに消費者にとっては払うキャンセル料は減るかもしれない。しかし、事業者は、そういうキャンセル料を定めること念頭に価格を設定したりとか、ほかのコストを削減する方法を取るという形で恐らく調整してくることになるのではないかと思うのです。

均衡概念というのが、ここに出されている例は非常に分かりやすかったのですけれども、例えば今のような契約内容規制の場面とか、特に約款規制のような集団の消費者を念頭に置くときに、事業者と消費者の間の均衡とか、経済的均衡に限らないのかもしれないのですが、どういう形で発展可能かということに興味を持って、ぜひ伺いたいと思います。この均衡概念について少し教えていただければと思います。よろしくお願いします。

○室岡委員 ありがとうございます。まさにキャンセル料の上限を設定した場合について、事業者の行動を考えると、キャンセル料で多額の利益をもし上げていた場合、その利益が減ってしまいますので、ほかのところの価格を上げざるを得ない、あるいは商品の質を落とさざるを得ないような行動というのは考えられます。それはまさに取引後に関する規制が取引前の事業者の行動を変えてしまうという点に該当するのではないかなと思います。

私が考える経済学の強みの1つとしては、このようなところでどのようなデータがあれば、それはよかったのか、悪かったのかという議論ができることが挙げられます。例えば、先ほどの例ですと、キャンセル料をすごく高く設定していて、仮に消費者がそれに対して不注意になっていて、キャンセル料を払っていたと。そして、事業者がもうかっていたとします。事業者はもうかっているので、消費者をより引きつけようとして、キャンセル料でもうけるために引きつけようとしてとても低い本体価格をつけて、例えばただで携帯電話本体をあげますという感じですね。ここで規制が入ると、キャンセル料からの利益が減ってしまうので、財本体をただであげるわけにはいかず、例えば携帯電話本体を1万円で売らざるを得なくなった。これは本当に消費者及び社会にとってよいのかどうかというのは、やはりデータを見なければいけないのですが、どのようにデータを見ればいいのかというところで、伝統的な経済学及び行動経済学は知見を提供できるのではないかなと考えています。

具体的には2つのケースがあり、本当にキャンセル料だけでもうけていて、消費者は財自体に価値を見いだしていないのだったら、そもそも最初に高額のキャンセル料をつけて財本体をあり得ないくらい安い価格で提供するということは、社会的に非効率だった可能性があります。そもそもそんな財を買うべきではないのに、消費者は不注意だから買ってしまって、最終的に高額のキャンセル料を払わされて消費者の利益は損害されますし、本来だったらもっとほかのより適切な財を使うべきだったので、そもそも社会全体の効率性も損なわれているというケースが1つ考えられます。

他方で、これはどちらかというと伝統的な経済学の考え方なのですが、消費者はもしかしたらキャンセル料を払うことまで見越した上で契約しているのかもしれない。例えば携帯電話の2年縛りであったら、月額6,000円みたいな契約が2年続きますということは必ず最初に説明をされますので、ただで携帯電話が手に入るとしても、その後に6,000円掛ける24か月払うというところは理解した上で買っているのかもしれない。このケースでは、必ずしも消費者に損害を与えているとは言えないですし、社会全体としての効率性が損なわれているかも、これだけでは分からない。

では、どういったときに、どういうデータがあれば、例えば消費者に損害を与えていると言えそうなのか、言えそうにないのか。社会全体に非効率性を及ぼしていると言えるのか、言えそうにないのか、というところを見極める上で、産業規制の理論や、この場合だったら不注意が入っているので行動経済学の理論というものは有益である可能性があると思います。

○大澤委員 どうもありがとうございました。御回答を聞いて非常に勉強になりました。本当にありがとうございました。時間がないかもしれないので、ちょっとコメントしたいことはあるのですが、どうもありがとうございました。

○沖野座長 ありがとうございます。

では、関連するということで、大澤委員から短めのコメントをさっとしていただけますか。それでこのセッションを一旦終えて、次のヒアリングのほうに移りたいと思います。

○大澤委員 すみません。申し訳ないです。この均衡概念というのに興味を持ったのはなぜかといいますと、私は経済学は全くのど素人ですが、海外で不当条項の不当性の基準を考えるときに、事業者と消費者の間でそれぞれが債務の均衡を害しているような場合には条項が不当であるという基準を使っている国が海外であって、日本では均衡という言葉は明示的には使っていないと思うのですが、今伺って、単に事業者、消費者それぞれの債務の均衡というよりは、もっと広く社会全体にとって不利益かどうかとか、そういったことを考慮するというのは、今後、不当条項の在り方を考えるときに非常に参考になると思いました。

以上です。


《2.②有識者ヒアリング(黒川博文 関西学院大学経済学部准教授)
③有識者ヒアリング(宮城島要 青山学院大学経済学部教授) 》

○沖野座長 ありがとうございました。

それでは、ほかにもいろいろ御指摘はあると思うのですけれども、時間の関係もありますし、また、関連する事項でもありますので、ヒアリングのほうに入らせていただきたいと思います。順番ですけれども、黒川先生、宮城島先生の順でまずプレゼンテーションをいただきたいと存じます。

それでは、黒川先生、よろしくお願いいたします。

○黒川准教授 よろしくお願いいたします。スライドを共有していただきながら、話を進めていきたいと思います。

御紹介にあずかりました関西学院大学の黒川と申します。私のほうは「消費者の『脆弱性』に関する諸問題」ということで少し広い感じのタイトルをつけていますけれども、お話をさせていただきたいと思います。

ページをめくってください。私の専門が行動経済学ということで、先ほどの室岡先生と同じ行動経済学が専門となっております。室岡先生はどちらかといいますと理論的なことを中心に研究されていますが、私はどちらかというとデータを使った分析のほうをメインで行っています。最近の研究は、ここに挙げておりますようないわゆるナッジを使った研究です。どのようなナッジを活用したメッセージが人の行動変容を促せるかということを研究しております。1つここに挙げておりますのは、コロナのときの接触確認アプリ「COCOA」に関するものです。感染者が外に出ていたときに接触したときに、もしかしたら感染者と接触したかもしれませんよというふうに周りの人に伝えることによって拡大を防ぐというようなアプリなわけですが、なかなかこれをダウンロードしてくれなかったという問題がありました。そこで、どうすればダウンロードして使ってもらえるようになるのかということを、ナッジを使って検証したという研究でございます。

この研究ではオンライン調査を利用しました。一つは緊急事態宣言発出時に外出していた人を中心に調査をし、もう一つはより広く日本全体の人に対して調査をしました。この1つ目の点、Study1のものなのですけれども、感染拡大防止という観点から、やはり外出している人にダウンロードしてもらうことが重要です。そういう人たちにアプローチをするということで、調査会社の所有している位置情報を利用して抽出するということをやりました。いわゆるターゲティング広告のように、この時間帯にこの場所にいた人がGPSの情報から分かるということですので、そういうものを使ってサンプルを抽出するということをやりました。

結果としては、なかなかナッジでは人は動きませんでした。ただ、他人のためになるよというような利他的なメッセージを伝えることによって、ダウンロードしてもよいかなというふうになるという一定のインパクトはありました。ここでこちらを紹介させていただいたのは位置情報という話です。先ほど言いましたように、ターゲティング広告のように研究では使いました。いわゆるビジネスの場面では、こういう位置情報とか情報を使って、かなりパーソナライズされた広告であるとか価格というものが今、使われてきている現状かなと思います。

ページをめくってください。こういうものが関連してきていますのが消費者の脆弱性です。OECDの報告書を拝見しますと、まだこの脆弱性というものは世界的に認められた定義はなくて、複雑かつ多次元な概念と述べられておりました。伝統的には、属性に応じたアプローチということで、年齢ですね。若年層と高齢者というような形であるとか教育年数というもの。いわゆる個人属性に応じて内在的に脆弱であるというものを消費者集団の観点から捉えたものが伝統的には使われてきたと書かれております。

一方で、近年は状況を考慮したアプローチということで、消費者の内的な要素と外的な要素の組合せであるとか相互作用によって生じるものだと。特に今、デジタル時代ということになっておりますので、そういう以下のもの、消費者の脆弱性の性質や程度に影響を与えるということがこの論文では述べられていました。先ほど言いましたようなターゲティング広告とかパーソナライズドプライシングのようないわゆる搾取的なパーソナライゼーションであるとか、いわゆる偽レビューとかサブスク、非金銭取引などの複雑さの増すオンライン取引及びテクノロジーというものがあります。

今回は、時間の都合上、特にダークパターンについて詳しく御説明させてください。次のページに進んでいただきますと、簡単な定義を載せています。ダークパターンとは、意図していないことをユーザーに行わせるウェブサイトやアプリで使用されるトリックというものです。欺瞞的パターンとなりまして、先ほどの室岡先生の御報告にありました欺瞞的取引に該当するものであるのかなと思います。こちらはいわゆるヒューリスティックスとバイアスと呼ばれる認知バイアスです。人の心の癖といいますか、心理的に分かっている何らかのバイアスを悪用することによって、利用者がよりお金を使うとか時間を使うというふうに誘導しているようなものです。過去の会議でも話題に上がっていたと思うのですけれども、様々なパターンでこのダークパターンというものがある。ここでは代表的なもの、インターフェース干渉とか妨害、スニーキング、それから、偽りの社会的証明とか偽りの希少性というものを挙げさせていただいておりますけれども、それ以外にも非常にたくさんの分類がなされています。

いずれにしても、何がポイントになるかというと、この認知バイアスです。背後にあるのは、後で紹介しますけれども、サンクコストの誤謬とか、限定注意とか不注意、それからフレーミングなど、人のバイアスをうまく活用するといいますか、悪用して、人を搾取するようなことをしているというデザインになっております。これはやはり消費者自体の自律性への損害もありますし、プライバシーの被害であるとか経済的損失というふうに個人の被害がある。それだけではなくて、それによって競争の歪みが生じるという問題があったり、構造的に消費者の被害が生じるということが、OECDの報告書でも述べられておりました。

ここでは、その中で1つ、ドリッププライシングというものを取り上げて詳しく説明させてください。ページをめくってください。先ほどの議論の中にもありましたが、購入プロセスの最後にたどり着いて、ようやく追加料金とか手数料というものが表示されて、見た目の価格、当初は見た目は安いなと思って買いにいって、最終確認画面のような画面で何か追加されている。でも、もうここまで来たから買うかというふうにして、本来はこの価格では買わなかったはずなのに買ってしまわせるというようなデザインです。これはサンクコストの誤謬ですね。既に費やした時間や費用、労力は埋没しているために、将来の意思決定に含める必要はないのですが、どうも入れてしまうということです。

実際にこういうドリッププライシングを使うことで、総額表示よりも売上げが20パーセント増加したり、購入確率が14パーセント高くなってしまうというようなことが実験的に検証されたことがあります。このように、消費者が本来なら買わなかったにもかかわらず、総額表示がされていたら買わなかったけれども、ドリッププライシングによって安いなと思って買いに行って、最終的に高くなったけれども、買うかというふうになってしまうことがある。それによって消費者の被害が生じているということを示している例になっていると思います。

ページをめくってください。このバイアスといわゆる伝統的な概念、属性に応じたアプローチとの関連等を少し整理させていただいています。1つは認知能力、教育年数との関連です。ここに挙げている「バットとボールを合わせて1.1ドルです。バットはボールよりも1ドル高いです。では、ボールは幾らですか。」という問題ですが、10セントというふうに答えてしまいたいのですけれども、正解は5セントなのですね。このように直感で考えると間違えてしまうという問題がよく知られています。これはハーバード大学の学生でも50パーセントは間違えることが知られています。いわゆる頭のいい人であっても、直感的な判断をして間違えるときがあることを示しているという話です。

次に、認知能力とサンクコストの誤謬です。これはどうも関係がないということです。要するに、認知能力が高い人でも低い人でも、サンクコストの誤謬のようなバイアスのある意思決定をしてしまうということを示唆する研究です。

それから、年齢とバイアスの関係です。フレーミングといいまして、内容が同じでも、表現方法が異なれば人の行動が変わるという話があるのですが、どうもそういうものは年齢に関係なく影響を受けるということが知られています。一方で、サンクコストの誤謬に関しては、年を取るほど減っていく。つまり、高齢になるほど、こういったバイアスの意思決定が生じない。もしかしたらいろいろな経験を通じて、これは将来の意思決定を含むべきではないということに気づけて、サンクコストの誤謬が生じないのかなというふうに思います。ただ、年齢に関しては、認知機能、認知能力自体が低下していくというバイアスとはまた別の次元の問題があるのではないかと思います。

最後に、インセンティブとバイアスの関係というものを入れさせていただきました。認知バイアスを測る課題はいろいろなものがあります。経済学の実験ではインセンティブを与えることによって、より一生懸命取り組んでもらうということをやるのですけれども、それによってバイアスがなくなるかというと、どうもバイアスというのはなくならない、もしくは多少軽減するということが分かっています。つまり、一生懸命自分でお金を払うというような経済的なインセンティブがある場面でも、どうもこのバイアスというのは生じてしまうということです。このバイアスをなくすことはなかなか難しいということを示唆する研究かと思います。

次のページをめくっていただきますと、少し話題が変わってしまいますけれども、アテンションエコノミーの問題点ということについてお話をさせていただきたいと思います。

24時間という限られた時間を奪い合っている。それから、限られたアテンション、関心の奪い合いの問題の状況。今の時代はそういうふうになっていると思うのですけれども、個別化とプライバシーのパラドックスという話であったりとか、中毒性の問題、それから質の低下ということが指摘されているかと思います。

いわゆる金銭の取引ではないのですけれども、情報であるとか関心の取引というものになっておりますが、では、これをどう考えていくか。金銭ではないのですけれども、金銭に置き換えて考えるというのが1つの考え方、切り口ではないのかと思います。例えば個人情報、プライバシーを企業に提供しているわけですけれども、どれぐらい我々消費者がその個人情報の価値を持っているかということを調べる研究があります。あとはSNSにどれぐらい時間を使っているかということですけれども、それに対する意思額です。この場合は利用をやめるための金額を示していますけれども、100ドルというぐらいの非常に高い価値をSNS使用に対して思っているということがあったりする。使用を停止することによって、その価値を低く考えるようになるということを示した研究があったりするわけです。いずれにしても言いたいことは、金銭の取引でなかったとしても、金銭のものに置き換えて考えるというのが1つの考え方ではないのかと思います。

次が最後のページになります。アテンションエコノミーの問題点として、中毒性という話があると思うのですが、消費者を守るという観点からは、このデトックス、中毒をなくすような仕組みを用意してあげることが大事になってくるのではないかと思います。例えばいわゆるSNS、ソーシャルメディアを使い過ぎるという問題に対しては、スクリーンタイム、時間の使用制限というのが重要になってくる。実際にある方たちの研究では、SNSの使用を減らすことに対してインセンティブを提供することによって、一時的にではあっても、消費者は使用しなくなるということが分かったことがあります。また、自制心の問題が非常に関連している。いわゆるバイアスともつながってくる話ではあるのですけれども、そういうことがありますので、消費者に対して、中毒性のあるものに対してはデトックスできるような仕組みを用意しておくことが大事になってくるのではないのかと思います。

最後のものですけれども、認知バイアスによって、本来買うつもりはなかったけれども買ってしまうということがあるわけです。では、どうすればいいかというと、1つはクーリング・オフのように契約取消しをできないかということです。私は法律の専門家ではないですが、もちろんいろいろ難しいところはあると思うのですけれども、多分買ってしまうので、買ってしまった後にどう保護できるかというと、やはり契約の取消しということになるのではないのかなということで、このように書かせていただきました。一方で、消費者自体がバイアスに気づいていない可能性もあるわけです。ということは、本来は買うつもりもなかったものを買ってしまったということすら気づかない可能性があります。もし、そうであれば、クーリング・オフみたいなものを入れたとしても、消費者からは多分、取消ししてくださいというようなことは言わない可能性があると思うのです。とすると、事業者側に何らかの規制を課すべきなのかという話が考えられます。ただ、そのことによって競争政策が歪んでくる可能性もあるという問題があると思うので、どのような形で、規制を入れるのであれば何が起こるのかということを、まずは伝統的な経済学の理論的な分析を踏まえたり、考えるということも重要ではないのかなと思います。

少しいろいろな話をしてしまいましたが、私の報告は以上になります。どうも御清聴ありがとうございました。

○沖野座長 黒川先生、ありがとうございました。

それでは、宮城島先生、お願いいたします。

 

○宮城島教授 宮城島と申します。本日はよろしくお願いいたします。

共有は自分でもできるのでしょうか。

○沖野座長 御自身でもしていただけるそうです。

○宮城島教授 ありがとうございます。それでは、本日は、私の専門の「厚生経済学と消費者保護」と書いてありますけれども、もうちょっと広く、消費者法の有識者懇談会の資料等を拝見した上で、私のほうで厚生経済学と関連することをお話しさせていただければと思います。

まず、厚生経済学という言葉をあまり聞き慣れない方々がいらっしゃるかもしれませんので、初めにお話ししておくと、厚生経済学とは、関連する分野として社会的選択理論というのがありますけれども、これはどういう学問かといいますと、まず、経済学の大きな目標の一つとしては、社会をよりよくする方法を考えるということがあると思います。消費者法の政策も含めて、よりよい政策を考えたり、社会をよりよくするような消費者法はどういうものがあるのかとか、あとは政策を行う前後でどのように状態が変わるのか、または政策を行わなかった場合にどういう状態になってしまうのかということを評価して、それによって社会の政策による状況とか変化を評価するということを考えることができるかと思います。

その際に、政策を行った上で、よくなるか悪くなるかということの基準、指標が欲しいと思います。もうちょっと客観的な、いろいろな基準はあり得るのですけれども、どのような性能を持った基準、評価の指標があればよいかというようなことを考えることができる。それによって、より客観的に評価することが可能になるのではないかと思います。

そのような概念として社会厚生というものがありまして、人々の生活水準の情報を基にして、社会的な状況を評価、比較しましょうというようなツールをつくることが厚生経済学の一つの目的になります。その中で、どのような生活水準の情報を使うのが適切なのかということを考えることも重要になってきて、それが今日の後半のお話にも関連してきます。

本日のトピックとしては、まず1つ目として、人々の自発的な取引でも、介入すべき理由がある。多くの場合においては、人々が自由に取引することはよいことであるということが経済学の共通した考え方であるかと思います。ただし、その場合に注意しなければいけないことがあって、例えば不確実性があって、人々の予想が食い違っているとか、事後の結果がすごく悪影響を及ぼしてしまうような場合には、人々が自発的に取引をしたいと思った場合でも、それが社会的に望ましくないと判断したりとか、または規制を行う場合もあるのではないかというようなお話をしたいと思います。

もう一つが、先ほどちょっとお話しした客観的価値。人々の生活水準をどのように評価するのかということに関して、より客観的な価値を取り入れたほうがいいのではないかというようなことがありますので、そこのお話をしたいと思います。そこは今までのお話にもありましたとおり、消費者の客観的価値を高めることが消費者法を考える上でも非常に重要だということにも関連しています。

まず1つ目の不確実性下では、取引が自発的であったとしても望ましくない場合があるということをお話ししたいと思います。

まず1つ目として、ベンチマークとして不確実性がない取引の場合なのですけれども、何でもいいのですが、例えばある人、Aさんが書店で自分の大好きな作家の小説を買いましたと、または自分の大好きなラーメンを食べに行きましたというようなことで、ほとんど確実にその消費を楽しむことができることが分かっていて、それを買った場合には、消費者のAさんも、それからお店の側も誰も損していない。多くの場合は両方ともが得をしていると考えることができると思います。

このような場合、その取引は、経済学では多くの場合、望ましいと考えられます。こういうのをパレート改善と呼んでいます。参加者全員に利益がある場合、それは社会にとって望ましい取引であろうとみなすことができる。この場合は社会厚生が改善したとみなすことで、社会にとってよりよいものだと考える。この場合には、この自発的な取引を規制する理由は何もないと思います。

しかし、不確実性がある場合には、同じようには考えられないのではないかという指摘がこれまでなされてきました。これは金融市場の取引などに使われるのですけれども、例えばX社の将来の株価について、Aさんは値上がりすると予想している。それから、Bさんの場合は値下がりすると予想している。この場合、Bさんは売りたくて、Aさんは買いたいということで、BさんがAさんに売却することで、先ほどのお話を適用すると、これはパレート改善になるような取引ではないかと考えられるわけです。では、これが社会的に望ましいかというと、それほど簡単ではなくて、事後的には必ずどちらかが損をするということは既に分かっているわけです。これが仮に合理的な取引だったとしても、予想が食い違っている場合には、取引する以前にどちらかは必ず損をすることが分かっているので、これが望ましいかどうかというのはかなり微妙な判断ではないかと考えられます。

こういったようなものを見せかけの全員一致と呼ばれています。このように不確実性下の取引では、事前の状態ではパレート改善であったとしても、必ずしもそれが望ましいかどうかということは、判断が難しい状況が多々あるということが指摘されています。そのような場合、自発的な取引でも、規制が必要と思われる場合もあるのではないかということが指摘されてきました。

今みたいな取引だと、もちろん人々が自分の責任の下で取引させることは別に悪いことではないと考えられるかもしれませんけれども、これが例えば人々の予想が異なり、かつ結果が非常に悪くなり得るもの、または大きな被害を及ぼしてしまったりとか、あとは個々人であったとしても何かしら貧困やひどい被害につながる場合には、ある程度の規制が必要なのではないかというような指摘がされています。または社会全体に不況などの悪影響がある場合にも規制が必要ではないかということが考えられます。

例えば保険への加入義務という制度が多くの国ではあるかと思いますけれども、これに関しては、仮にリスクや不確実性の下で、自分は入らなくても大丈夫だと思っていたとしても、入らずに例えば車の運転で事故を起こしてしまったりとか、病気になってしまったということがあるかもしれません。事前には自分がそんな悪い状況にはならないと考えていたとしても、事後的には非常に悪い状況になってしまうかもしれない。そのようなことを防ぐために、保険への加入義務などを行うべきということは、先ほどの自発的な取引だけではなくて、介入して取引をさせるというようなことが正当化されるのではないかと思われます。

それから、金融市場に対する規制なども、このような考え方が関連しているかと思います。例えば2008年、2009年あたりに起こった金融危機などは、多くの経済学者がその後の研究で、その前に自由化の流れがあったのですけれども、そのときに投機とかリスクをすごく取りやすいような状況をつくり、それでさらに人々が大きなリスクを取って、そのために例えば銀行が潰れて、その波及効果によって多くの悪い状況が社会に広がったと。自由な取引だったのだけれども、それをやってしまったために銀行が潰れ、そこで取引している人たちの借入れもできなくなったりとか、いろいろな悪影響があったのではないかということが言われています。

なので、その後、マクロ経済学の人たちとか、より広く経済学者の人たちが、自由な取引だったとしても、人々の予想が異なっている場合には、一定の規制というのは必要なのではないかということが指摘されてきました。特に金融危機のような社会的に非常に悪い影響が広く及ぼされてしまう場合には、規制が正当化されるのではないかということが指摘されてきました。ここまで、介入が望ましくなり得る場合についてざっくりとお話しさせていただきました。

次に、消費者の客観的価値についてのお話をしたいと思います。以前興味深く拝見したのですけれども、懇談会の議論整理の資料について、消費者法の目的は、消費者の幸福という価値の実現であると。その際に、しかし、主観的価値な価値だけではなくて、客観的な価値も含めるということが書いておりまして、ここは非常に重要なことではないかと私はすごく共感をもって拝読したのです。主観的な幸福というところだと思うのですけれども、多くの場合、幸福と聞くと、主観的に感じるものだというふうに考えられるかと思います。しかし、それだけでは望ましくないということが厚生経済学では長らく指摘されてきました。人々の生活水準を評価する上で、幸福だけでは望ましくないというふうに指摘されていまして、それはなぜかというと、例えばアマルティア・センやほかの哲学者の方々が指摘してきたのですけれども、適応的選好という問題があります。例えば窮状にあって、ひどい状態にあって、その状況に慣れてしまうと、あまり不幸を感じなくなってしまうということがあり得る。例えば、先ほどお話があったような脆弱性を利用されてしまったりとか、あとはだまされるような状況がすごく当たり前の状況になってしまうと、それが当たり前だと、だまされる可能性があったとしても、そんなに不幸に感じなくなってしまうということがあり得るかと思います。なので、幸福だけを基準にするのは、それはそれでやや不十分な面があるかと思います。

その代替的なアイデアとして、またはそれを補うものとして、アマルティア・センの機能と潜在能力という考え方があります。この機能と潜在能力というのは、まず機能とは何かというと、消費によって達成できることは何かということを考えます。例えば食べ物だとしたら、食べ物というのはそれを消費することによっていろいろな可能性があります。例えば栄養を取るだけではなくて、味を楽しむとか、あとは団らんのお供に使うとか、そういったようないろいろな効果があるわけです。そういうのを機能というふうに呼んでいます。消費を機能に変換する能力は、人々や社会によっても変わってきます。例えば体が弱くて栄養が吸収できない人は、同じ量の食べ物を食べたとしても、それを栄養という機能に変換する能力が異なっていると考えられます。同様に、だまされる可能性が大きい社会では、同じ消費をしたとしても、クオリティーの悪いものを消費させられて、消費を機能に変換する能力が低くなってしまう可能性もあるかと思います。

それから、潜在能力というのは達成可能な機能の集まりで、こちらは結果として達成できる機能だけではなくて、それをどのように自分が自発的に選べるのかという自由を尊重したいというアマルティア・センの考え方があります。これは、ただ食べ物が手に入らずに飢えている人と、抑圧的な政府に抗議して自発的に絶食している人とは状況が異なるであろうというところから、自分の選択肢がどれぐらいあるのかということも重要であるという考え方から来ています。この潜在能力を平等にしようというところがアマルティア・センの社会的な評価の考え方になってきます。

そうすると、安全に取引ができる環境であるとか、あとはエンパワーメントされて、これは教育なども含まれると思うのですけれども、そういったような安全に取引される環境を整えてもらうことによって、人々の潜在能力を押し広げる効果があるかと思います。こちらは客観的価値を高めるという考え方にも非常につながってくるのではないかと思いました。

私からは以上です。ありがとうございました。

○沖野座長 ありがとうございました。

それでは、ただいまの黒川先生、宮城島先生の御発表内容を踏まえまして、質疑応答・意見交換をしていきたいと思います。先ほどと同様、御発言のある方は挙手、オンラインの方はチャットでお知らせいただければと存じます。どなたからでも、どの点でも結構です。

では、二之宮委員、お願いします。

○二之宮委員 御説明ありがとうございました。せっかくの機会ですので、黒川先生の資料を基に2点質問させていただきたいと思います。1点目は、貴重な機会ですから、御説明いただいた3名の先生皆さんから御意見をいただければと思います。2点目は、行動経済学の関係から室岡委員、黒川先生に教えていただければと思います。

1つ目なのですけれども、資料2の黒川先生の資料の3ページに脆弱性の近年の概念として、状況を考慮したアプローチというのがあります。ここでなるほどと思ったのが、消費者の内的及び外的要因の組合せと相互作用によって生じるものと書かれております。これは正にそうだなと思いました。10ページの資料の部分にダークパターンと背後にある認知バイアスの例が挙げられていますけれども、ここに挙がっているものは全て消費者の内的要因と外的要因の組合せと相互作用によって生じているものだというのがよく分かります。そうしたときに、8ページで、これらについてどうしたらいいのだろうかというところで、黒川先生は、例として、クーリング・オフのようなものや事業者側に規制を課すことの必要性ということを書かれています。

脆弱性というのが、消費者の内的要因と外的要因の組合せと相互作用を考えると、言ってみればそれは無限に組合せ、相互作用が生じることになってくると思います。そうすると、それに対する民事的救済制度だとか行政規制制度というのも、それぞれ単独でというのではなくて、それらの制度そのものも組合せと相互作用が必要になり、そうでないと対応できないのではないかと思います。

そうなると、行政規制制度だとか民事救済制度というのが相互作用を持ちつつも、他方で組合せの対象が無限にあると考えると、適応する対象を限定的に列挙するというのでは追いつかないということに自ずとなってくる。そうすると、例示的に挙げた上で、包括的なルール、制度というのが必要になってくるのではないかと思いますが、そういう考え方について、3名の先生方のお考えをお聞かせいただければと思います。

2点目の質問は、同じく8ページに、認知バイアスにつけ込んで、買うつもりでなかったものを買うという例がありますけれども、行動経済学を用いて考えると、認知バイアスにつけ込むというのは、どういう状況をもって認知バイアスにつけ込んだと言えるのか、そこはある程度枠組みを設定できるのか、もっと言えば、こういうものだという一定の定義づけができるのか、その辺について教えていただければと思います。よろしくお願いします。

○沖野座長 ありがとうございます。

では、黒川先生から、まず1点目、2点目、それぞれについてお答えいただくということでよろしいでしょうか。

○黒川准教授 分かりました。御質問ありがとうございます。

まず1点目のところです。状況を考慮したアプローチということで、内的と外的な要因が組み合わさるとか、相互作用によって生じるもので、それをどう守っていくかといいますか、対応していくかというときになりますと、やはり複数の要素が絡み合ってくるということですので、無限大に生じてしまうという問題はおっしゃるとおりかなと思いました。

なかなか難しいところではあるのですけれども、根本となるような1つの大きな枠組みといいますか、ルールといいますか、そういうものをどうつくればいいのか、何が該当するのかというのは、ちょっといいアイデアは思いつきません。ですが、根本となる大きな法律といいますか、そういうものを踏まえた上で個々に対応していくというのが1つのやり方になるのではないのかなと。お答えになっているか分からないですけれども、そのように感じました。

2つ目の認知バイアスにつけ込む、つけ込まないというところですけれども、例に挙げましたドリッププライシングというものですね。本来の総額表示のものと、本体価格と手数料を分けて見せるというやり方ですと、後者の本体価格と手数料を分けて後で出すというのは、要するに認知バイアスにつけ込んでいるタイプだと思うのです。バイアスがなければ、総額は一緒なわけですので、買うわけです。だけれども、バイアスがあることによって、前者の総額表示では買わなかった人が、後者のドリッププライシングでは買ってしまうということは、それは認知バイアスにつけ込んだ金額の表示の仕方だということが識別できるだろうと思います。なので、これが認知バイアスにつけ込んで、これはそうではない、どう判断するかというと、例えば何か実験的なものです。御紹介した研究のように、これは認知バイアスが生じない、つまり誤認がないとか、間違いなく判断できるという条件のものと、何か認知バイアスを活用しているよなという条件で比較して、こういう条件だとつけ込んだような表現になっているんだなというようなことをして、区別していくことになるのではないのかなと思いました。

私からは以上になります。

○沖野座長 ありがとうございます。

では、室岡委員にも1点目、2点目、いずれもお願いしたいというふうに御質問がありますが、室岡先生、お願いします。

○室岡委員 今、黒川先生に御説明いただいたことは2点とも私も賛同するものです。2点目について1個だけつけ加えるとすると、やはりその意味でも、まさに黒川先生が強調されたように、しっかりとデータを見ていく。そもそもどのような懸念があるから、どのようなデータが必要なのか、そして、どのようなデータがあると何が言えて、何が言えないのか、あるいは何が分からないのかといったところを、データを集める前の段階からしっかり議論していくことが重要ではないかと個人的には思います。

私からは以上です。

○沖野座長 ありがとうございます。

では、宮城島先生、1点目をということですが、もちろん2点目についてもコメントがあればお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

○宮城島教授 申し訳ありません。私はちょっと専門外なので、お答えは差し控えさせていただければと思います。

○沖野座長 では、二之宮委員から今の点について、よろしいですか。

○二之宮委員 今日のお話は広範というか、いろいろ影響してくるので、この機会にコメントをいただき非常に参考になりました。ありがとうございました。

○沖野座長 それでは、そのほかの点、あるいは関連する点でも結構ですけれども、いかがでしょうか。

加毛委員、お願いします。

○加毛委員 二之宮先生のご質問と同じことを別の角度からお尋ねするだけなのかもしれないのですが、8ページの「つけ込んで」という表現は、一定の評価を伴うものであるように思われます。認知バイアスには様々なものがあって、契約の一方当事者が有する認知バイアスを他方当事者が利用することが、すべからく問題とされるわけではないのだと思います。その中で、規制などの対処が必要とされるような認知バイアスの利用の仕方を、「つけ込む」という言葉で表現されているのではないかと思ったわけです。そこで、データを用いた分析において、ある認知バイアスの利用の仕方が問題であるということを、いかなる基準で評価するのかということについて、さらに御知見があれば伺いたいと思いました。

もう一つ、これは専ら黒川先生にお尋ねしたいのですけれども、6ページで紹介されているバイアスとインセンティブに関する研究の成果が大変興味深いのですが、判断をする主体へのインセンティブの付与がバイアスを軽減することにつながらないのだとすると、どのような対応が望ましいのかが問題になるのだと思います。

そこで、8ページに戻りまして、クーリング・オフのような事後的な救済手段を消費者に与えることが考えられるほか、消費者側における対処が難しいのだとすると、事業者に対する規制が必要になるという議論が出てくるのだと思います。もっとも、消費者に対する事後的な救済手段の付与で十分なのかという問題は御指摘のとおりであると思いますし、事業者側に規制を課すことについては、室岡先生も指摘されていたとおり、その副作用として、社会全体にとって望ましくない結果を生み出すおそれがあることも考慮しなければならないのだと思います。

そのことを前提として、消費者に対して、認知バイアスによる問題を軽減する事前の取組のようなものを想定できるのかが気になっております。室岡先生の御報告では、消費者教育に関して、教育がうまくいく面もあれば、そうでもない面もあるとして、市場の分断のような効果が生じてしまう可能性が指摘されていました。そのような問題もあるのだろうと思うのですが、事前に、消費者の側に働きかける形で、認知バイアスによる問題を緩和・軽減する手立てに関して、先生の御知見や行動経済学における研究の蓄積についてお尋ねしたいと思いました。よろしくお願いいたします。

○沖野座長 2点ということですが、これは室岡委員、黒川先生、お二人にということになりますかね。

では、まず室岡委員から、次に黒川先生ということでお願いできますでしょうか。

○室岡委員 すみません。ちょっとノイズが入って、黒川先生のほうに先にお願いできましたらと思います。

○沖野座長 では、恐縮ですが、黒川先生、よろしくお願いいたします。

○黒川准教授 御質問ありがとうございます。まず、8ページの部分ですね。私の表現が、つけ込むというのを書いてしまったところもあるのですけれども、先ほどの回答と同じようになってしまうのですが、多分、何か実験的な形でデータ検証する。それで、こういう表示だとどうかというのを確かめていく。実際の取引がどういう画面でなされているかとか、そういうものと見比べて、これはやはりちょっと認知バイアスにつけ込んだようなタイプのものではないか。例えば先ほどのサンクコストの誤謬のようなものをつけ込んでいる表現だよねとか、フレーミングを活用しているよねみたいなものを評価していくというのが必要になってくるのかなと思います。

もちろん実験は実験で、実際の取引とはまた違うところもあります。ですので、実際の取引における場面でのデータ、事業者側がほとんどは持っているものではありますが、こうしたデータで検証できれば良いかと思います。もちろん、なかなか検証するのは難しいかと思うのですけれども、何らかの形で評価をするような仕組みといいますか、検証方法というのが重要になってくるのではないのかなと思います。

次のバイアスとインセンティブの話になりますけれども、今の話はずっと認知バイアスが悪いみたいな話をしていますけれども、これは多分、進化心理学等の進化の観点からいくと、どうもバイアスがあることによってうまく生きてこられたという背景もあったりして、バイアスが全て悪ではなくて、いい面もあると思うのです。そのいい面、悪い面がある中で、悪い面がちょっと使われてしまっているというところかなと思います。

このバイアスをなくすのは、どうも難しいということです。というのも、例えば私自身も、こういう認知バイアスがあるよねと知っているわけですけれども、やはりバイアスの影響を受けているということがあるのです。例えば分かりやすく言うと、松竹梅効果みたいなことをよく言われるのです。2つの選択肢だけではなくて、それよりも3つ選択肢を用意すると真ん中を選んでしまうというものがあるのですけれども、それはバイアスをうまく活用していると知っていて、でも結局自分も真ん中を選ぶよねということがあったりするわけです。なので、難しいところではあるのですけれども、バイアスを知ったからといって、バイアスの影響を受けないかというと、そうでもないということもあったりします。ではどうやってこの影響をなくしていくかというのは、なかなか難しいところではあります。かといって、バイアスがあることを知ることは意味がないかというと、そうではないと思うのです。知ることによって多少は賢くなるといいますか、消費者教育の文脈において、こういうバイアスがあります、こういう表現のときはこういうバイアスによって、こういうふうにして、間違った判断といいますか、ちょっと自分の思っていたことと違うことをやってしまうことがあるのですというのをちょっと知っておくだけでも気づけることもあったりするのかなと思います。

ただ、最初の御報告にありましたとおり、教育がうまくいく人、いかない人がいます。うまくいった人には確かにいいのですけれども、いかなかった人、効果がなかった人に対しては、さらにその人に対してターゲットされてしまって、搾取されていく可能性があるかと思いますので、効果的な消費者教育は何なのかというのを、もしやるとすればしっかり検証していく必要があるのかなと思います。

もちろん今のデジタルの時代においては、いたちごっこではないですけれども、こういうものに対して規制というか禁止というのがあると、新しいものが出てきて、繰り返しにはなると思います。ですが、少なくとも今はこういうのが分かっていて、こういうので被害が出てきていそうだということに対して、しっかり知っておく、知らせるということは無意味ではないと思うのです。多少なりとも効果はあると思いますので、法律等での規制だけではなくて、そういう形で消費者教育であるとか情報提供なりをしていくという伝統的なアプローチも重要ではないのかなと思います。

最後の2点目の消費者側か事業者側かというのは非常に難しい問題だなと思っています。私の中では結論はないのですけれども、多分、事前の段階で消費者側に発した場合には、こういう規制等、クーリング・オフ等の制度を入れることによって社会余剰がどう変わるか、事業者側に入れた場合には社会余剰がどう変わるかという、いわゆる伝統的な経済学の考え方で分析をした上で、では、どちらのほうがより望ましいかを考えるというのが1つの考え方ではないのかと。

私のほうからは以上になります。

○沖野座長 ありがとうございます。

室岡委員はお答えできる状況にありますでしょうか。

○室岡委員 今は大丈夫です。先ほどは申し訳ありませんでした。

私のほうからは2つ目に対して、特にこのスライドに書いてあることに対して1点だけ。まず、消費者教育自体は重要なものですし、その効果測定も含めてしっかりやっていくべきものではありますが、先ほどの私のプレゼンテーションでも申し上げたように、消費者教育で教育されなかった側というのは恐らく消費者保護の上では本来最も重要になってくるグループではないかと個人的には感じております。その場合、事後的な救済、これは消費者法が伝統的に議論してきたものだと思いますしそれも重要ですが、私は事前における対処も重要になると思います。例えばドリッププライシングであれば、払う可能性がある価格を最初に全部見せる。それが難しいケースもあると思いますが、適切に価格を最初に開示させることによって、そういう事前の規制によって改善されるところもあると思います。

もちろん事前の規制を入れることによって対象となる事業者の行動も変わりますし、消費者の行動も変わりますし、対象とならなかった事業者の行動も変わるかもしれないので、そういったことを全て考慮に入れる必要はありますが、事後的な救済と事後の規制及び消費者教育、これは全て総合的にミックスして、特に事前に対処できる、事前に2割でも3割でもトラブルを減らせるような施策は、ぜひうまくミックスしてやっていくことが重要ではないかと個人的に考えております。

以上です。

○沖野座長 加毛委員、よろしいですか。

野村委員、お願いします。

○野村委員 質問というよりも感想みたいになってしまうのですけれども、事業側の立場からいうと、やはり経済というか、売上げを上げていくところに一つ大きな目的があるので、ある程度生活者の方たちのアテンションを引きながら、常にマーケティングをしていくというのが基本になるので、あれは駄目です、これは駄目ですというやり方だと、どうマーケティングをしていくのかというのがなかなか難しいと思いながら、今日全体を伺っておりました。

ただ、認知バイアスとかいろいろ見ると、こういう意識はマーケティングにも応用しながら使っていくものもあれば、やはり駄目な領域もあるということで、最終的に事業側がやりやすい方法を考えないといけないのではないかと思う。例えばチェックリストみたいな形で事前に規制をする。こういうことになっていないのか、こういうことになっていないのかということをやっていけると、絶対駄目なところは絶対駄目なのですけれども、グレーの領域が非常に多いと思うと、チェックリストがあるとやりやすい。もしくはガイドラインのようなもので規制をするのがいいのではないかなと思った。

あと、今日も先ほどお話が随分ありましたけれども、消費者側も教育されないといけないと強く思いました。こういった認知バイアスがあることを知らない人がほとんどだと思うので、これがリリースされるタイミング、もしくはその前から、そういった教育などにももっともっと力を入れないと、法律をつくってもいたちごっこになってしまう。それを避けるには、教育も大切と思いました。感想になってしまいますけれども、なので、そういったガイドラインみたいなもので、事前に守れるものがあるといいなと思った次第です。

○沖野座長 ありがとうございました。今のはコメントということでよろしいでしょうか。

○野村委員 はい。

○沖野座長 では、そのほかございますでしょうか。

特になければ、時間を取って申し訳ないですけれども、私から。御議論になっていた中で、消費者側に何らかの事前の行動をもたらせないかというのが教育だというのが1つだと。ただ、教育によって全ての人をカバーできるわけではないというような点もございましたし、教育を受けて知ったとしても、行動が本当に変化するかは分からないという御指摘もあったのですが、例えば総額表示があって、比較可能になっているというのは、事業者からそれを開示せよというのもあり、そうなると事業者のほうの行動規制になるのですけれども、他方で、この会でも消費者の支援のシステムをつくれないかと。例えばアプリケーションなどで総額が出てくるというようなものです。よく価格が何パーセントオフになっているけれども、前から一旦高くなってオフになっているじゃないかといった変化が一覧で見られるようになっていたりするアプリケーションが既にあるということですが、そういった消費者側の支援措置ですとか技術の利用というようなことはあり得るのかなと思ったのですけれども、それがもたらす影響ということがあるのか。事業者のほうだと、競争政策の問題も出てくるということなのですけれども、消費者側であれば、教育については、今度は教育から外れてくる人たちをどうするかという問題があるということだったのですが、何か気をつける点があるのだろうかというのが1つです。もっとも支援へのアクセスが可能かという問題はあるのかもしれません。

それから、もう一つは、これもまた繰り返し御指摘があった点ですけれども、特に黒川先生のプレゼンテーションで出された非常に具体的な点がとても分かりやすかったのですが、こういったデータが出ているというのも、それ自体知らないことが多かったわけです。最終的にはデータを取って、実験などもして、裏打ちしていくことが大事だろうというのは分かったのですが、それをし切れるかという問題もあります。例えば一般的なルールとして、認知バイアスにつけ込むような勧誘行為をしてはならないという場合、では一体何がそれに当たるのかということをブレークダウンしていく必要があるのですけれども、最終的にはデータで取らないといけないということだとしても、それを誰がやるのかとか、どちらがやるのか。規律を設ける際にやるとすると、その規律なりを設けていく、あるいはその規律がもう少しソフトロータイプのガイドラインになると、そこで考えてくださいということになるのですが、誰がやるのかという問題と、それから、どうやってそれを発見していくかと言ったらいいのでしょうか。実験をするためには、やはりこういうことがあって、それが影響を与えているのではないかという一定の推定のようなものがあって実験にいくと思うのです。そして、もしその推定がある程度できるようならば、一般的にはそうではないですかといって、そうではないなら反論を出してくださいというような形で仕組むことも考えられるのですけれども、そのデータの切り出しだとか、関係についての推測だとか、そのような形で動かせるようなものなのでしょうか。すみません。抽象的なことで申し訳ないのですが、黒川先生と、あるいは室岡先生からもということになるかと思いますが、お願いします。

○黒川准教授 ありがとうございます。まず、2点目のほうです。データで誰が分析するのか、どうやってその実験の仮説を立てていくのかというところですけれども、確かに非常に難しいところではあります。1つは、例えば消費者センターですね。こういう相談があるというときに、つけ込んだという表現はよくないかも分からないですけれども、確かにこれは認知バイアスを悪用しているようなものかもしれないという事例を取り出してくるのが1つのやり方なのかなと。もちろん全てが報告されるわけではないですけれども、1つのきっかけとして、何かこういう形で引っかかるといいますか、相談が多いなというのであれば、それが何でそういうふうに引っかかってしまうのだろう、あ、これは認知バイアスを使っているよねみたいなものが分かるといいますか、それを発見していくというのが1つのやり方であるのかなと思います。

では、誰がやるのかというのは、なかなか難しいところではあるのかなと。研究者なのか、それとも省庁の方々がやるのか、それとも外部に委託をして何かやっていくのか。いろいろなやり方はあるかと思うのですけれども、誰が適切かというのは、非常にぴんとくるところではないかなと思っています。

消費者の支援であるとかという話、1点目の点ですね。教育から外れる人に対しても、どうアプローチしていくかというのはなかなか難しいところではあるのですけれども、バイアスがあるときとないときというか、バイアスを軽減する仕組み。例えば先ほどの総額表示というのは非常に分かりやすい、バイアスによって影響を受けやすいので、総額表示ではないかもしれませんといいますか、何かそういうのをアナウンスする、表示をするみたいな仕組み。これは手数料が含まれていません、含まれていますみたいなところを表示させて、もしかしたらこの値段ではないのだということを気づかせてあげるような仕組み。もちろんそれに消費者が気づくとは限らないわけですけれども、何らかのバイアスの影響があるかもしれない、何か悪用されているかもしれないというか、それに気づかせてあげる仕組みが必要ではあるのかなと思います。

すみません。ちょっとまとまりのない回答でしたが、以上になります。

○沖野座長 ありがとうございます。

室岡委員からさらに何かコメントはございますでしょうか。

○室岡委員 ありがとうございます。どちらも重要な点だと思います。特に消費者教育が消費者をどのように助けるかということに関連して少しだけコメントさせていただくと、事業者のほうは、先ほど申し上げたように非常にリッチなデータで、例えばどの消費者がどのような場所で間違えるかというデータを集めやすくなったと同時に、行政側も消費者のよりリッチなデータがより手に入りやすくなっているはずです。まさに黒川先生が先ほどおっしゃっていたように、国民生活センターのデータというのはその意味で非常に貴重なデータですし、それがただ上がってきただけではなく、どの消費者がどのように間違えて、どのような損害をこうむるかというデータを使うことによって、どのように助けることができるか、どのように事前に阻止することができるかを、少なくとも理論上は考えることができます。

また、今、AIが詐欺に使われ出していることが問題になっていますが、AIを使って、だまされやすい消費者、あるいは認知症の消費者などを助けていくといったサービスなりシステムなりも今後非常に重要になる可能性があると思っています。そのため、こういったところで国民生活センターにダイレクトに上がっている声、あるいは最新のテクノロジーなどを使い、最終的にはいたちごっこになってしまう側面がどうしても出てくるかと思いますが、トータルとして少しでもよくしていくという方向しかないのかなと個人的には感じております。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございました。

それ以外にいかがでしょうか。ほかの点ですとか、あるいは関連してということでも。

加毛委員、お願いします。

○加毛委員 宮城島先生の御報告に対する御質問といいますか、御報告の内容を前提としたうえで、お考えをお聞きしたいことがあります。まず、私は厚生経済学について門外漢であるので、本日のご報告は大変勉強になりました。ありがとうございました。

本日の御報告における重要なキーワードの1つが、客観的価値なのですが、有識者懇談会の報告書において客観的価値とされているものと、宮城島先生の御報告において客観的価値とされているところが同じなのかどうかがよく分かりませんでした。宮城島先生の御報告は、センの議論などを踏まえた上で、10ページでまとめられているとおり、安全に取引ができる環境が整備されていること、あるいは消費者のエンパワーメントなどによって消費者の潜在能力を広げることで達成可能な機能の集まりが広がり、消費者個人の選択の自由が確保されることを、客観的価値として把握されているものと理解しました。

他方で、有識者懇談会の報告書における客観的価値は、よりパターナリスティックな性格のあるものであるように、私には思われます。個人の選択の自由を確保するというよりも、一般的な消費者を基準として望ましいと思われるところを実現することに向けられているような気がいたします。そこで、宮城島先生が有識者懇談会の報告書についてどのように御理解されているのかをお尋ねしたいとともに、もしよろしければ、懇談会のメンバーであった先生方からも、この点に関するお考えを伺いたいと思いました。そのことによって、客観的価値といわれるものに対する私の理解が深まることを期待してのご質問となります。よろしくお願いいたします。

○沖野座長 ありがとうございます。

では、宮城島先生からまずお願いいたします。

○宮城島教授 重要な点を指摘していただいてありがとうございます。懇談会の内容に書かれている客観的価値ということとは、確かにちょっと意味内容が変わっているかと思います。なので、私の発表の内容は、別の側面からも客観的価値をサポートできますよというようなお話になっております。重要な御指摘をありがとうございました。

○沖野座長 客観的価値というときに、いずれもあり得るのだけれども、本日の御報告では、まさにプレゼンテーションしてくださった内容の面から御報告いただいたと理解してよろしいのでしょうか。

○宮城島教授 そういうことです。ありがとうございます。

○沖野座長 ありがとうございます。

懇談会ではどうかということについて、大屋先生、関連してですか。関連はせずにですか。

○大屋委員 関連してになります。

○沖野座長 大屋先生、お願いします。

○大屋委員 大屋でございます。

今、加毛先生からお尋ねのあったことについてなのですけれども、ここはまさに客観的価値ということで、何を読み込むかという問題に関わってくると。宮城島先生が今日のスライドの10ページでおっしゃったようなことが、恐らく一番意思中立的に、当事者の意思形成に干渉しない範囲でもこういうことはやっておかないと選択がまともにできなくなるよねという趣旨での客観的価値である。ただ、正直言うと、これで足るかというのが先立つ有識者会議での議論の中身だったわけで、意図していたのはもう少し強い、意思中立的ではない何らかの干渉をすべきではないかという内容まで踏み込んだ提案だということになります。

ただ、これは室岡先生も御指摘のとおり、あるいは多分次回こういうテーマになるのだと思いますが、まさに当事者の意思を無視して、一定の客観的価値と称するものを強制する、パターナリスティックな干渉に及ぶ可能性は当然あるわけです。しかしながら、我らの社会はいずれにせよパターナリズムなしにやっていけないというのも法哲学的には自明のことです。少なくとも幼児と認知症患者がいる以上、パターナリズムは必要なので、どこでどのような境界線を引くか、どこまで許容するかということを本来的には議論しないといけない。そこは客観的価値の実現が必要ですよねとか、不要ですよねという粗い議論をしていても何も進まないので、具体的な境界線の話をしないとけないのかなと思っているということであります。

ちなみに、宮城島先生の前で言うのも度胸が要るのだけれども、アマルティア・センは権利の中身を利益だと思っている人なので、客観的価値としての本人の利益を保護するために意思を無視することになりますよねという指摘をすると、はいそうですと言うと思うのです。これは権利の意思説と利益説の対立というのがあって、ただ、どっちを取っても問題が起きるということも既知の問題ですので、そういう議論の流れになっているというふうに思います。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございました。

今の大屋委員からの御指摘に対してさらに追加のコメントはございますでしょうか。宮城島先生、あるいは室岡先生から、もし何かあるようでしたらお願いいたします。

宮城島先生、ございますか。

○宮城島教授 今の大屋先生の御説明でさらに理解が進みました。ありがとうございます。私は、パターナリズムが必要であるということにはそれほど反対はないのですけれども、ただ、評価規準がやはり必要かと思いまして、客観的価値の評価規準はいろいろなアイデアがあるのではないかと。その1つの方法として潜在能力という考え方があるのではないかということだと思います。なので、補完的な議論になるのではないかと思います。

○沖野座長 明確にしていただきまして、ありがとうございました。

以上について、室岡委員からさらに何かございますか。

○室岡委員 特にございません。私も、本来これは対立する形というよりは補完的な形で議論を進めるようなものであると思います。

○沖野座長 ありがとうございます。

加毛委員、よろしいでしょうか。

○加毛委員 ありがとうございます。懇談会の報告書を拝読した際に、最も理解が難しい、あるいは評価が分かれそうであると思ったのが、客観的価値に関する部分であったので、宮城島先生と大屋先生のやり取りを聞いて理解が深まりました。本当にありがとうございます。

○沖野座長 ありがとうございました。

では、小塚委員、お願いします。

○小塚委員 学習院大学の小塚です。

懇談会に私も加わっていたので、なかなか発言しにくかった点を加毛先生の御質問がきっかけに非常に明確になりまして、私も感謝しております。

それで、宮城島先生に違った角度からお聞きしたいのですが、今日非常に話題になった行動経済学的な意思の問題です。ダークパターンとかそのような話というのは、先ほど野村委員がお話しになっていましたように、きれいな線が引けるかというのは、やはり非常に微妙なところが出てくる。しかし、懇談会の出発点はまさにその辺りにあったのですね。いわゆる優良な、あるいは優良であろうとする企業がコンプライアンスできちんと守ろうとすると、どんどんルールが細かくなって、結果的にそこから漏れる取引が非常に多くなってしまう。それを何とかしないといけないのではないかという、そこの辺りが出発点の問題意識としてあったわけです。

そういう意味で言うと、行動経済学のお話というのは、我々の勉強として一番重要なのですが、ルールメーキングしていくときにどうなるかというところで何か原点に突き戻されたような印象もあるのです。

宮城島先生にお聞きしたいのは、その話を一旦措いて、室岡先生の最初の御報告では、まずは伝統的な経済学をというようなお話もあったわけですが、厚生経済学は比較的伝統的な経済学だと思いますが、その観点からは明確なルールメーキングができそうなのか、それともここのルールも線を引き出すと実際に難しいので、やはり立法していくと苦労して、最後は技術的になってしまという、その辺りの見通しはいかがでしょうか。

○宮城島教授 ありがとうございます。例えば先ほどの不確実性がある場合に人々の自発的な取引でも望ましくない場合があるといった場合に、もちろん不確実性がある場合は気をつけなければいけないということは分かるのですけれども、その際、どれくらいの線を引くのかというところは、やはり難しい問題かなと思います。そこは参加する民主的な議論の中で、どのようなひどい状況だったらここは取引させないとか、このような取引はかなり危ないのでさせないとか、そういったようなことはコンセンサスがないと駄目なので、そこは経済学だけではなくて、様々な角度からの議論が必要になっていくのではないかと思います。なので、伝統的な経済学でもやはり難しい場合は多々あってということになると思います。

○沖野座長 よろしいでしょうか。

○小塚委員 ありがとうございました。そうすると、基本は同じで、やはり実証なども踏まえて、最後は政策的な決定が必要になる。そうだとすると、引いた線とそれを守ることをどうするかという問題は、やはり残っているということではないかと思います。ありがとうございました。

○沖野座長 ありがとうございました。

もう時間が来ているのですが、しかも細かいことなのですが、どういうふうに理解したらいいのか分かっていないことがありますので、宮城島先生にこの点を教えていただきたいのですが、不確実性という概念についてです。不確実性のある取引、ない取引ということを言われていて、それは取引の結果の不確実性とされまして、ケース1、ケース2を明らかにしていただいたのですが、ケース1でAさんが好きな作家の小説を買ったのだけれども、これは外れだと思ったという場合があります。買う必要はなかったなと。ですから、不確実性というのは、その取引によってそれぞれの主体が得るであろう主観的な効用というか、それだと実は全てが不確実で、たまたまこれはよかったということになりそうなのですが、恐らくそういうことを考えているわけではいのかなと思ったのですが、不確実性のある、ないという基準はどういうことで考えたらよろしいのでしょうか。

○宮城島教授 こちらの場合は、今日のお話で言うと、たとえ仮に確率的に予想ができたとしても、その予想が人々の間で食い違っているような場合を不確実性というふうに呼んでおりました。重要な御指摘をありがとうございます。この場合、消費をして、外れだったというようなケースはもちろんあるのですけれども、考えている状況というのは、かなり確実に消費してこれがうれしいと。例えばいつも行っているラーメン屋さんで、今日もおいしく食べられるだろうとか、そのようなことを不確実性がない状況というふうに呼んでいて、人々の間で予想が食い違っていて、事後的に必ずどっちかが損するけれども、事前には合意が起きてしまうような状況のことを不確実性というふうに呼んでいました。

○沖野座長 ありがとうございます。概念としては分かりました。また改めてと思うのですが。

○室岡委員 室岡です。その点について少しだけコメントよろしいでしょうか。

○沖野座長 お願いします。

○室岡委員 今日、宮城島先生にご説明いただいた不確実性というのは、AさんとBさんで持っている事前の予想が異なる場合を議論していたかと存じます。もし、例えば事前の意味でAさんが完全に正しいとなったら、Bさんがナイーブであったことになりますし、もし客観的に第三者が見てBさんが絶対に正しくて、Aさんは間違っているといったら、Aさんはそもそも完全に合理的でないということになりますので、私がプレゼンで紹介したナイーブな消費者の話に近い可能性もあるのかなと個人的には感じていました。

これは分け方の問題にもなるのですが、私は、例えば宮城島先生のスライドでご紹介いただいている論文の著者のひとりであるAlp Simsekの一連の研究はかなり行動経済学に近いものだとカテゴライズしているので、今日の宮城島先生の不確実性の例というのは、行動経済学か、あるいは行動経済学と呼ばないにしてもそれにかなり近いトピックを論じていると思いました。

○沖野座長 補足していただきましてありがとうございました。完全に分かったかというのは、なお自信はないのですけれども、さらに考えさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

それでは、予定の時間を超してはしまったのですけれども、ほかにコメントですとか御質問、御意見はございますでしょうか。よろしいでしょうか。

それでは、この辺りで今回の議論は終了とさせていただきたいと思います。室岡先生、黒川先生、宮城島先生におかれましては、大変貴重な御知見をいただきまして、本当にありがとうございました。また、委員の皆様におかれましても活発な御議論をいただきまして、ありがとうございました。

それでは、事務局のほうに事務連絡をお願いいたします。


《3.閉会》

○友行参事官 長時間にわたりまして御議論いただき、誠にありがとうございます。

次回の日程につきましては、決まり次第、御連絡いたします。

以上です。

○沖野座長 ありがとうございました。

それでは、これで本日は閉会とさせていただきます。

お忙しいところをお集まりくださいまして、ありがとうございました。

(以上)

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